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    東京 港区 日新窟

    「芝公園」駅を降りてすぐ、増上寺の傍にあるお寺にお盆と言うこともあり参拝させて頂いた。
    この日新窟は、先の東北大震災の時に、東北などから避難してきたベトナム人約100名近くをその後約2か月にわたり受け入れたことで、名前を知られるようになった。
    日本人でも行き場のない究極の状況でありながら、(救済の手が届かない)ベトナム人避難民を慈悲の心で、救済されたのだ。あの時、日新窟がなければ、この日本において多くの方が助けもなく、命を落とされたかもしれないのだ。
    そして、現在はといえば、ベトナム人技能実習生や留学生が困窮の末に失踪し過酷な労働の結果、突然死したりする際に頼る日本で唯一の場所となっている。
    今年から未曽有の外国人(そこにはベトナム人が半数以上を占める)を受け入れようとする日本政府だが亡くなった時に荼毘にふすことすら個人に頼り切っているのだ。
    働きに来るのは歓迎。
    しかし、労働や差別や孤独や暴力などに耐えきれず、突然死したり、失踪などして死に面した者は、関知せず・・・ で良いはずがない。
    せみ時雨のカンカン照りの下、供養塔に並ぶ150柱にもおよぶベトナム人青年達の名前に目を走らせていると目が曇って見られなくなった。
    突然の訪問にもかかわらず、親切にご対応いただいた吉水寺務長とタム・チーさまには感謝の言葉しか申し上げられなかった。
    この日も、前日に茨城の海で2名のベトナム人が命を落としたそうで、茨城に行っていたお話をされた。妻が「日本人も、大波の被害に遭ったんですか?」訊けば、「日本人は、夕方のその時刻は危ないので誰も浜に出ていなかったそうですよ」ということだった。
    「たまの休みに海に来て、そこにあった注意も読まなかった(或いは、読めなかった)のかもしれませんね」と私。
    「(ベトナム語で)情報をもっと発信し、最悪の状況に陥る前に対処できるようにしなければなりません」と話されていた。
    自分も留学生を送り出す側として、絶対に避けなければならないこととして、「親を泣かせること」と「人に迷惑をかけない」ことを常々学生に言い聞かせている。
    だが、「死」という究極のどうしようもないことがこれほど簡単に起こり、そしてこんなにも大勢に降りかかっている事実を目の当たりにして、様々な感情や思いを止めることができなかった。
    タム・チー様の「すべてのものは、どこかでつながっているものです。ベトナム人(異邦人)だからとうことで関心をあまりもたないということは、どうでしょうか」というお言葉が心にしみた。
    一人の日本人として、こういった負の連鎖を断ち切るために、できることは限られているが、できるだけのことはしよう。

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