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    国際化の実現のため、日本の大学がチャレンジできること

    2014年11月11日
    ベトナム教育局認可校 すばるアカデミー
    藤澤 謹志

    目次

    Ⅰ 大学の国際化についての私見

    Ⅱ 海外展開の有望先としてのベトナム

    Ⅲ 今後目指すべきこと

    Ⅳ ベトナムでの教育展開

    Ⅰ 大学の国際化についての私見

    93年ベトナムに日本語教師として来てから、現在小さな教育機関(日本語学校・学習塾など)を運営している者が書き記すには不相応な掲題とは思いますが、大阪外国語大学(現 阪大・外国語学部)時代からベトナムにかかわり、これまで現地で20年ベトナムを見、ベトナム人学生と向き合って来たことから少し見えるものがあり、敢えて書かせて頂きました。これから激動の時代を迎えるに当たり、その波を乗り越えられるよう日本の大学の指針を決めていく際にヒントの一つにでもなれば幸いです。

    教育における時代の波というのは、所謂「国際化」です。どうして日本の教育機関は国際化を喜んで迎えようとしていない(ように見える)のでしょうか? それは、国際化という分かりにくい言葉を「多国籍化=多様化」と置き換えれば、見えてきます。つまり、日本人が日本語で日本人に知識を授けるという教育形態(日=日=日)では、これからの時代で約200カ国もある世界の民族と共存共栄など不可能だから、変えたほうがいいと(時代に)求められているからに他なりません。

    更に言えば、日本の教育は、日本の発展・国益のためにあるというのも国際化には反する目的であることも認識すべきときが来ているのではないでしょうか。確かに、日本の学校法人は日本国のものであり、教育基本法にも国民のためにと明記されておりますし、国民の税金を還元するサービス事業でもございますのでその枠を取り去るというのは(特に日本国内での教育においては)難しい場合もあるとは存じます。

    ただ、教育というのは、そもそも誰にでも施すべきものであるという性格を持っています。日本の整備された教育の品質は、世界に誇れるレベルにあると思いますが、それを制度の制約上、日本人とか日本一国のために活用するというのは、それこそ「もったいない」時代が来ているのではないでしょうか。

    また「留学させれば国際化が進む」というのは留学させれば(留学した子に限り)国際化が進むといった方が正確ですし、それで日本の教育自体が国際化することはあり得ないはずです。留学させられる学生数にも限りがありますし、留学先の殆どが欧米圏では、どうしても偏った国際化になる懸念が拭えません。

    ところで、私も現地でインター校に通う娘(日本の中学2年)がおりますが、いろいろ悩んだ結果「大学は、(娘が18歳の時点で満足できる教育内容の大学が日本になければ)USAに行かせたい。そして、その後は、EU諸国かUSAで大学院に進ませる」との選択に傾いています。ただ、娘は日本が大好きなので、高校は日本で学びたいと申しておりますし、将来的には日本で働くことが希望です。子供には、折角海外で生を得たのだから、活動の場を限定することなく世界を舞台にして、世界の人のために少しでも役に立てる人材になってほしいと願っています。ただ、日本人とベトナム人(妻がベトナム人のため)のマインドも心の底にしっかりと持って欲しいのです。

    USAの大学と口で言うのは簡単ですが、生活費も含め年間7万ドルx4年間を捻出するあてはございません。娘のためにと購入した土地が上がるのを願うしかないのが正直なところです。そのため、日本でUSAのアイビーリーグレベルの大学が出来、年間100万円くらいで通えることを願う一人でもございます。

    世界のTOPレベルに位置する大学は、USAのためだけとかUKのためだけに教育を施しているのではないことは明らかです。元々移民の国でさえ、そうなのです。「移民の国だから、出来る。日本は違うから」というのは、これからの時代では、言い訳に近いものになるでしょう。
    島国だからこそ、持てる文化や伝統があります。それに自己満足しないで、時代の波がうねる大海に出る勇気が要るのです。港に停泊している小船が「まもなく津波が来る」という情報を得たとき、そこにじっとしていては陸の上に叩きつけられるか海の底に引きずりこまれるだけです。全速力で津波に真っ直ぐに立ち向かい、津波に挑み、それを越えるしか生き残る術はないのです。そういった姿勢や行動を大人が先ず示すことで、国際化に戸惑う青年達も身を投じていけると思います。

    日本の大学に海外で勝負してほしいと願っているのは、そうしないと大学の国際化など出来ないと思うからです。国内にいて、英語を磨き、外国人の教師に学び、世界の情勢をネットなどで学ぶ学生が(英語は出来ても)国際化できないのと同じです。

    小生は好きでベトナムに出てきたわけではございません。どちらかと言えば、日本で大学を出てから10年会社勤めをし、自分の将来に漠とした不安を覚えたからというのが本当のところです。しかしながら、10年、15年、20年とベトナムにいる内に「日本に留まっていたより、結果的には良かった」とは断言できます。徒手空拳の一個人でもそうなのです。経験や実績、ノウハウや人材がある大学が10年本気で海外で生き残りをかけて活動すれば、どれほどの成長や貢献をもたらすか計り知れません。

    Ⅱ 海外展開の有望先としてのベトナム

    海外に出ると言っても場所や時期を選ぶことは成否を決めるポイントとなります。早すぎてもダメ、遅すぎてもダメなのです。そう見たとき選べる国は非常に限定されます。私がベトナムに日本語教師として来た時、何も考えてはいませんでした。ただ、「1年くらい体験してみたい」くらいの弱い気持ちでした。そして、93年という年は、まだまだ早すぎました。しかし、93年から2003年、2004年から2014年と10年スパンでベトナムを実体験できたのは、非常に良かったと思います。
    ベトナムの進出の魅力としてはよく挙げられるのが以下です。

    A 東南アジアで日本のODA拠出国のトップとしてのベトナム
    B 日本との距離の近さ
    C 宗教面での相似性
    D 30歳以下が国民の60%を占めるきれいなピラミッド型の人口構成
    ここに私は、以下の点を補足したいと思います。

    E 『準』漢字圏と英語力のたかさ
    F 世界に広がるネットワーク
    G 親日度が世界でトップレベル

    簡単に説明いたしますと日本の留学生向けの教育は、俗に漢字圏3国(中国・韓国・台湾)が顧客(=学生)でした。日本の大学レベルで日本語の授業を理解しなければならないのですから、漢字が元々ある程度できることが絶対的に有利だったからです。ただ、それでは国際化など百年経っても出来ないということも事実です。

    現在の中国・韓国・台湾からの留学生が減少していることを嘆いても戻って来てはくれません。次の“顧客”を探さねばならない時期なのは明白です。そこにベトナムが浮上してきた理由のひとつが言葉の問題です。実は、ベトナムは、どちらかと言えば韓国に近く、昔は漢字(チューノム 漢字では、字 口偏に南)を使っていたのですから、実は言葉の壁は『準漢字圏』と呼んでもいいからです。

    次に、ベトナムは歴史的に戦争(近いところでは、1945年~1975年に及ぶ30年戦争と言われるもの)が多くあり、その結果、フランスやUSA・カナダ・豪州などに数百万人くらいの「越僑」と呼ばれる方々がいます。そのネットワークと経済力は、本国にも影響を与えるほどです。つまり、ある意味アジアでは、結果的に最も国際化が進んだ国であるのです。ここがタイやインドネシアなど他のASEAN諸国との決定的な違いです。

    ホーチミンには、インター校があふれるほど林立していますが、在校生は多国籍です。ただ殆どの子がベトナム国籍も持っています。*小生の子も同じです。そういうことは、日本ではあり得ないことだと思います。そして、どこの学校も年間1万USAドル~2万USAドルの学費ながら盛況です。

    こういうベトナムで、教育活動を展開することにより、時間と共に必ず国際化(多国籍化)が浸透してきます。多国籍の優秀な留学生を獲得するなど欧米の大学に勝てるはずがありません。

    しかしながら、元はベトナム国籍だけれども多国籍も所有している国の教育で、優秀な学生を獲得できる という成功を収められれば、自然に多国籍化も進むのです。

    娘が通うブリティッシュインターという学校も12年前は、保育園しかございませんでした。しかし、保育園の園児が幼稚園に進む時、幼稚園を立て、その流れで小学校、中学校と拡大し、現在は、高校もあるだけでなく、ホーチミン市に3校、ハノイにも学校があり、学生数は、全部で2000~3000人はいるでしょう。経営者(カナダ越僑の方)は、大学設立も検討しているはずです。小生は、娘を1歳半から通わせて来たので、その発展ぶりには目を見張ります。

    そして、こういったことは、大学でなら豪州のRMIT大学が相当します。そこも10年ほど前に、ホーチミン分校を小規模で開いてから、現在はホーチミンとハノイに大学を持ち、学生数は5000~6000人あるでしょう。すごいのは、学費は決して安くないということです。

    * 詳しい内容は、両校のHPでご確認いただければと存じます。

    ベトナムからの大学留学生数でTOPは、豪州ですが、RMIT大学だけでも2年次とか3年次の留学などの数は、1校だけで日本の日本語学校に留学するベトナム人の数に比するほどのはずです。日本の大学に直接入学する留学生数では、比べるべくもございません。

    今後は、本格的な大学がUSAやEUから進出してきて、インター校の競争が大学レベルに及ぶのは間違いないと思います。そういう状況で、私がいつも残念なのは、ベトナム人の親御さんなどから「日本のインター校とか大学はどうしてないのか?」と素朴な質問を受けた時です。「USA,UK、豪州、シンガポールカナダなどは、国語が英語だから分かるが、ドイツや韓国系のインターもあるのに。やはり日本人は、英語が苦手なんですか?」など相手が日本のことを好きなことが分かるだけに悔しく残念な思いをしています。

    大学の大先輩の商社マンのお話では「いままで30年ほど世界の多くの国(欧米を初め15カ国ほど)で働いてきたが、ベトナムほど日本人ということで
    尊敬してくれる国はない」とのことでした。私の経験からも先の大戦での体験談で「日本は、自転車でベトナムに突如現れ、100年間ベトナムを植民地として苦しめてきたフランスを数日間で追い払った。その後、日本刀でベトナム人を斬る軍人もいたし、終戦近くにはハノイに飢饉が来たりしたが、ベトナム人は日本人に対して総じて尊敬の眼差しで見ている」と(妻のお母様から)伺った時、何とも言えない感謝の気持ちで一杯になりました。

    先の大戦で日本の軍による侵略を美化する気持ちは毛頭ございませんが、こういった(許せるだけでなく、敬意を払ってくれる)民族は恐らく世界で(50年間植民地にしていた台湾を除き)唯一ではないかと思えるのです。それに気がつけば、ベトナムを過去のような植民地政策ではなく、平和・経済などの共存共栄政策としてパートナーと捉えることが日本だけでなくASEANとの共存共栄ひいては世界との共存共栄につながっていく一本の道ではないでしょうか。

    今は、日本のブランド力こそ誇れるものであり、それは長年の諸先輩方の不断の努力で築き上げたものです。ただ、このブランド力は、確実にキャッチアップされてきます。一国の20年後の盛衰を予測するには、今のその国の青少年を見ればわかります。

    これは、ベトナムで知ったことのひとつです。例えば、今の日本の大学生A君とベトナムから来た大学生Bさんを比べれば、20年後どちらが収入が多いか、家族を持ち、自立しているかは明らかです。そういった頑張る普通の一家族がどれだけ多いかが一国の国勢に如実に反映するのです。

    ここ数年、日本から大学生が本校を訪問してくれることが出てきました。それだけでも驚きなのですが、聞くと日本のTOP大学(高校もTOPレベルの進学校)の子が殆どです。小生のような者に「海外でどうやれば活躍できるのか?」などという真摯でダイレクトな質問をぶつけてくるのは、気持ちの良いものです。「こういった本気で国際化について考える青年がいるのだな」と嬉しくなります。

    ただ、如何せんこれまで How do you think? とあらゆる事象について自分で考えるという授業(思考の習慣)を受けてこなかったからだと思いますが、頭が優先して体がついて来ない感じです。恐らく彼らが方向性を見つけ出し、その道を歩み始めるのは、少なくとも10年はかかるような気がします。更に言えば、歩み始めてからが本当の勝負だということです。新卒で日本の会社で3年ぐらいも働けないようでは、難しいだろうと言わざるを得ません。

    どうしてかというと 国際化(多様化)というのは、英語力や知識などではなく『環境』こそが肝心要 だからです。日本の国際化(多様化・多国籍化)が進まない限り、日本の青年の国際化は、結局成されないと思います。

    Ⅲ 今後目指すべきこと

    これまでの大学は、『日本のよさを伝えること』に努めて来ました。しかしながら、これからの時代は、それだけでは足りない段階に入っています。それでは、どうすればいいのでしょうか。

    簡単に言えば『 国際化と日本Wayをハイブリッド化すること』だと思います。アジア諸国や世界の国々との共存共栄と言うのはいい事ですし、言うだけなら簡単です。

    ただ、この言葉で、『共栄』は、最後に来ることを認識すべきです。共生が出来初めて共存が出来ます。誰でも住んでいるところを少しでも良いところにしようと思うのは、当然です。そこで初めて「共栄」の門が開かれます。

    どうも日本の国際化政策と呼ばれるものを見ていると『(日系企業のため)世界を舞台に働ける企業マンの養成が急務』とか『国際化しないと日本は発展できない』とか『日本の繁栄が回りまわって他国の発展に効果を及ぼす結果となる』ような我田引水的なものが感じられるのは、私だけでしょうか。

    これは、『 組織(会社)が富んで初めて、その細胞(社員)が豊かになる』という経営者の意見と似ています。自分の身体を触れば、それは、全く逆だということが誰でもわかるはずです。「一企業成って、万骨枯れる」とか「一国成って、万国枯れる」では、何のため、誰のための国際化なのでしょうか。

    では、現在の日本が「共生」が上手く行っている国なのかといえば、そうではないことは一目瞭然です。「外国人を入れれば、犯罪が増える」などという意見が出ること自体誤解だらけの発言です。これは「悪い外国籍の人を受け入れてしまえば、そういう人は犯罪を(特に異国では)犯しやすい」というように言うべきものです。学校で言えば「学力の低い子で家庭に問題を抱えている子を受け入れれば、学習指導だけでは済まず、生活指導を強化しないとちゃんと卒業させることは出来ない」でもいいでしょう。

    それでは、優秀でお金持ちの家庭の外国籍の青年を受け入れればいいということになります。実際、それに努めてきた大学が殆どでしょう。しかし、それは、上手くいっていません。今後は、更に困難になることも明らかです。

    そういった青年で外国籍の場合、殆どが国際化の志向性を持つ親の下に育っているので、普通に大学を選ぶ場合に、欧米の名門大を目指すのが自然です。

    そういう流れは大河のごとく完成しています。ベトナムだけ見ていても、英語教育がいかに教材であれ、制度であれ、広く深く浸透させるとてつもない投資と努力を行ってきたか、一目瞭然です。それに対して、世界に日本語を浸透させる普及させる投資や努力はどうかと申せば意識と考え方からして違うというのが事実です。

    しかし、その大河の流れを日本にも流さねば枯渇するのは時間の問題です。つまり、その流れを変え、一本の支流を造ることに挑むことしか今後100年の日本の教育の計はありえないと思います。

    どうすればいいのでしょうか? 先ず、教える対象は、(英語圏の学校のように)世界を視野にいれて見るべきです。英語で教える大学や学部が創設されるのは、一つの解決策です。ただ、それだけでは、欧米のTOPレベルの大学には、いつまでたっても追い付けないのではないでしょうか。

    また、忘れてはならないのが、言語はレベルの上達に伴い、その国の文化そのものに近づく性格を持っている ということです。

    植民地政策に長けたフランスが、ベトナムを植民地にした時、それまで漢字だった文字をアルファベットに替えたのは、聖書を読ませたいからだけではないことは明らかです。TOEFLなどで高得点を取るには、USAの歴史や文化を知らねばなりません。これは、実は英語が話せるより重大なことです。

    そこで、英語教育+αがどうしても必要になります。では、何を α にするのかと考えるとまだ健在な『日本への好感度や信頼感というブランド力』ということしかないと思います。

    Ⅳ ベトナムでの教育展開

    ベトナムの都心で、タクシーに乗られて「街を1時間ぐるぐる回ってくれ」と運転手に言い、窓に流れる景色を見るだけでも活気が感じられるでしょう。では何が活気なのかを考えるとバイクの多さだけでなく人の多さ、子供の多さ、そして本屋と学校の多さと分かってきます。どうして、街中にTOEFLとかTOEICの看板が溢れているのか。それは、成功している学校が多いからです。20年前は、本屋はありましたが、英語学校は殆どありませんでした。特に、この10年急増したのです。日本がベトナムで教育の活動を行うならば、英語圏の学校の成功を見習うことが成功の近道です。

    何も英語学校を作れというのではなく、そこに日本のよさ(日本語や日本文化など)をプラスするということが差別化のポイントです。2つのことを同時にすることは、一つのことをするより大変だし、時間もかかるのは当然のことです。しかし、それが出来たとしたら一つのことをしてきた人に優れるのです。

    英語も日本語も出来、日本のパートナーとなれる青年を国籍を問わず養成

    することが今後日本の大学に求められることなのは間違いないと思います。これは、ハーバードやオクスフォードでも出来ないのです。間違っても、日本人なのに英語ばかりしゃべり、英語圏マインドを持つ日本国籍の準欧米人を大量に養成してはいけません。日本はアジアの一員なのです。まず、先の大戦の反省に立ち、アジアの平和・繁栄・幸福を目指す真のリーダーとなるべきです。

    最後に、ベトナムに進出するということは、日本の高度経済成長に似た20年間の成長の波に乗れることになります。そのエネルギーを一緒に加速させることで本当の意味での共栄が達成できると期待してやみません。

    そして、それが出来た段階で、ベトナムを基点にASEAN諸国や中央アジア、西アジアへと展開するという次の高みが望めるでしょう。その連山の行き着く「頂」こそ、日本が21世紀中に到達しなければならない地点だと思います。

    以上